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【movement】ZOO特集特別企画

大反響を呼んだZOO特集の最終回!

本誌初の連載企画、ZOO特集もいよいよ最終回。 前々号ではCAPさん、LUKEさんに登場してもらい、前号ではMARKさん、KAZUさん、HIROさん、SAEさんが登場。今回はZOOのリーダーを務めた TACOさんとメインヴォーカルのSATSUKIさんが最後を締めくくってくれることになった。また彼らと親交の深い、ゆかりのある著名な方々からコメントを頂き、ZOOの魅力や当時のエピソードなどを語ってもらったので、最後までじっくりどうぞ。

「本当にやりたいことってなんだろう?」って考えると、ダンスしかないってことに気付いて。

俺は元々子供の頃から劇団にいて、英才教育で育ったからいい加減踊りにうんざりしてて。 先生にもよく怒鳴られてたし。日本舞踊とかクラシックもやったけど、型・型・型だから。しばらくして結局、その劇団から抜けたんだ。それから友達に遊びに誘われるようになって。高校生だったんだけど、そのときに先輩に連れられて夜な夜な車で流しにいくような毎日。そういう遊びにも飽きてきた頃に、友達がディスコに行こうって誘ってきて。「何それ?」って思いつつ、車の先輩とかとツルんでるよりこっちの方が面白くなっちゃって。当時ディスコには、一般の人から何から何までいろいろいたんだよね。そこでは各々好き勝手遊んでて、自由な空間で。おかげで「踊り=型」っていう世界 から「踊り=自由」に180度捉え方が変わったんだ。その後ダンス好きなヤツらのグループができて、メンバーが毎日100人くらい集まって 「今日〇〇のディスコに集まろうぜ」ってノリであの頃はディスコをハシゴする時代で、店から店に移るときに100人くらいの列がバアーっとできるワケ。そうやってディスコに入り浸ってた 頃、18歳のときにいきなりスランプが来て。それからしばらくダンスはしないで、国産の単車をハーレーみたいに改造しては乗り回してた。でも「本当にやりたいことってなんだろう?」っ て考えると、ダンスしかないってことに気付い て。そっからが俺の本当のダンス人生の始まり。一日8時間とか、死に物狂いでやったね。 20歳くらいで、一番体の状態がピークだった。 基礎的なことは片っ端からやって、半年くらいかけて一気に感覚を取り戻した。ディスコに行
き出したときも、そのときも丸坊主で。だからTACOって呼ばれてるんだ、実は。今度は自分なりに独自の踊りを考えたくっていろいろ試行錯誤してたんだけど、それからだよね。単車で事故って、一番大切な右足を折っちゃって。それから激しい踊りができなくなった。それからだいぶ経ってDADAが始まったのかな。 DADAが始まる前くらいの時期って、ユーロビ ートが全盛で、ブラック系が下火になりつつあって。そんな中「ユーロビートの子達に俺達がブラック系を仕込んでいこう」ってことでイベン トを始めたらそれがどんどん盛り上がっていって、ちょうどそのタイミンクで六本木でブラック系が流行りだしたのかな。それでマハラジャの本店の人からDADAの番組の話が来た。初めはユーロビートだったんだけど俺らは「こんな 曲どうですか?」って少しずつ提案しながらどんどん良くしてって。それが結果的に盛り上が って、そこから人が集まってZOOになっていったんだよね。現在はれ”Z宇詞答裸“というグル ープで活動してる。このクループは、真の意味 での地球平和を望んでいるグループ。つまり地球上で生きているのは人間だけじゃないっ てことを伝えていきたい。バランスを考えられる人達が世の中を作っていくのが望ましいことだよね。12/26から始める「Over The Naked」っていうイベントを新宿RUINS,23で やっていきながら、まさにーからっていう気持ちで活動を行なってる。イベントは定期的にやっていくから、落ち込んでる人や心に悩みを抱 えている人には特に来てほしい。きっと俺らの伝えたいことを感じてもらえるはずだからね。

TACO

実際に出てみるとハワイじゃなくて番組のレギュラー出演で。(笑)

ーDADA参加のきっかけは?

「優勝したらハワイに行けるダンスコンテストの番組をやるから、出てみない7」と誘われたのですが、実際に出てみるとハワイじゃなくて番組のレギュラー出演で。(笑)当時私は、実家の仕事を手伝いながらディスコに踊りにばかり行っていたので「まあいっか」って感じで。

ー「Choo Choo TRAIN」がヒットしたとき、 どんな気持ちでした?

1stコンサートのリハーサル中に発売された曲 で、リハーサルスタジオの壁に売上げランキングが何位になっているのかが、毎日貼り出され ていました。ある日それが1位になって、そして100万枚を突破して。周りの人達は騒いでいるのだけど、自分達はあまり実感がなくいつも通りで「一体今何が起きているのだろう?」という感じでしたね。

ーZOOの活動で特に印象に残っているのは?

コンサートですね。特に1stコンサートのときは、 歌をたくさんの人達の前で歌うことが私の夢だったので、何とも言えないものすこい感覚に包まれたのを覚えています。ZOOのコンサ ートでは、毎回何曲かは同じ曲をやるのです が、同じ曲でもダンスの動きやアレンジがまったく違うんですよ。コンサートで披露する曲を メンバーで振り分けて、各自が振りを考えてきて皆に教えるとういうスタイルを取っていまし た。それぐらい全員が「タンス」というもの、 「エンターテインメント」という部分にこだわりを 持っていたグループでしたね。

ー解散後は?

自分のいろんな可能性を出せていけたらなとは思っていて、テレピ番組の司会などに挑戦したりもしましたが、結婚を期にきっぱりこの業界の仕事を辞めました。子供の頃から結婚したら家に入って仕事はしないと決めていましたので。

ーZOOが音楽シーンに与えたものは?

当時、武道館であれだけの規模のダンスパフォーマンスをやったり、ラップをしたりした事例が日本にはなかったですし、例えば今テレビで日本人アーティストのPVなどを観ても「そういえばZOOって何年も前にこういうことすでにやっていたな」って思うことがあります。そういった意味ではZOOが次世代のアーティストの人達の活動の道を、少しでも広げるきっかけ になったのかなとは思います。ただその反面、 グラフィティーと呼ばれる壁の落書きを見て、 自分達が取り入れた「ダンス」や「HIPHOP」という海外の文化が、日本においては多少履き違えて理解されているのではないだろうかと悩んだ時期も正直ありましたね。

最後に、読者にメッセージを。

「チャンス」っていうものは掴むことが難しいものだと思う。自分の信念に基づいて行動していてもそれは偶然やってくるものでもあると思うし。例えばダンスをやりたいからって、ダンスだけやっていてもダメ。いろんなことを勉強することが大切だと思う。その時その時の年齢だからこそ吸収できるものがあるはずだから、一瞬一瞬を大事にしてがんばってほしいです。

Message From Scene

ZOOにゆかりのある、現在は様々なシーンで活躍している方々に、ZOOへの当時の思い出や気持ちを語っていただいた貴重なコメント集!

●田中傑幸(れいかんやまかんとんちんかん)

「皆さんとはよく現場で遭 遇しましたね。当時六本木だとサーカス、 ドウルッピー、渋谷ならJトリップバー、 ジョー、西麻布ならエンドマックス、芝涌 ならゴールド、新宿なら東亜会館、ニューョークニューョークなどのディスコやクラブで。印象としてはみんな純粋に踊 ってて、フロアを自分達のものにしてました。彼らに影響を受けたダンサーはかなりいると思います。DADA放映後の週末、ほとんど同じ格好をして踊ってた人達を見か けましたから。個人的には、番組内の最後 のラインダンスが楽しみのーつで、それと DJの選曲もチェックしてました。僕個人としまして、DADA番組内のコンテストに出場して、レギュラーチャンピオンとなり、第2回グランドチャンビオン大会ではRIKA-CO賞を頂きました。ZOOを一言で語るとするならば「遊びの中から混沌と浮かび上がった叩き上げ、実践ダンスユニツト」とい うところじゃないでしょうか。問違いなくパイオニアですね」

●Tyler

「小さい頃から踊ることが大好きだったけど、おかげで踊りの楽しさを知 ってしまったというか、私にはすごく衝撃的なものでした。私と同世代でダンスを始めた人はZOOの影響が大きかったと思います。私はDADAという番組に出てLUKE賞を取って優勝したりして。当時組んでた “冷し中華”というチームもHIRO兄が名付け親ですネ。(笑)CAPやSAEちゃんには特にお世話になりました。ツアーも何度か一 緒に回らせてもらいました。小僧な私には スタジオでメンバーのみんなとやるリハー サルや大きなホールでたくさんの人がいる 前で踊ることも本当にいい経験でした。今の私があるのもきっとそういう経験があってこそだと思っています」

●BOBBY

「zooは俺の原点!」

●KAZUKI a.k.a K-SWITCH

「DADAの番組をZOOがやっていたとき は、そのコンテストに出るのが習慣になっていていりびたっていました。ほとんど毎回行ってて、ほんと今の自分がここにいるのは、DADAのおかげで、今現在、ダンサーからDJへと.どっぷりハマってます」


●HIROSHIGE(元DEER)

「ZOOは早すぎたかなって思う。みんながホントにやりたいことをやったらもっとかっこよかったのにな。でも懐かしい。今はいい思い出です」

●DJ TAMOTSU

「ZOOはタンサ ーとヴォーカルで今起こってるムーヴメントを起こしたグループ。そういう部分で素晴らしい存在だと思います。それを引き継 いでいるダンサーやヴォーカルの人がたくさんいると思いますが、これからもそのム ーヴメントを大切にして楽しい工ンターテインメントを目指していってほしいです!」

●DJ KOYA

「ZOOは俺がHIPHOPを追ってく上でのバイブルだったし、自分の先輩みたいな立場でもあったから、すごいリスペクトしてる。DADAとかZOOを通じて今の目分があるし、共に過ごした時間はこれからも忘れられない素晴らしいヒストリーになったと思います」

●DJ KEN-BO

「一番良い時期をZOOのサポートメンバーとして、メンバー にいろいろと協力してもらったおかげで今 の自分があり、今の仕事につながってる部分もあるので、すこく感謝してますね」

●MICO(FLY GIRLS)

「ZOOは私にブラックミュージック&踊りを目党ませ てくれたきっかけの、大きな存在です。今のダンスブームもZOOが第一人者だと思 うし、歴史的に見てもすこいなーって思います!当時クラブに踊りに来ている生ZOO はものすこいオーラを放っていて、本当に いろいろとパワーをもらいました。ZOO は永遠不滅です!(長嶋風に)」


●KANGO

「僕にとってはダンスをやり始めたきっかけになってる人達がほとんどっていうか、単純に憧れの存在っていうか、この人達がその時代に多大な影響を与えてたね。俺が今あるのは多分ZOOのおかげでもあると思うし、そういう意昧では今でも尊敬してる。とにかく、あの時代のアイドルですよね。すごい力ッコイイ人達の集団っていうか。それに尽きるかな。いろんな遊びも教わったし。(笑)いろいろありました」

●HORIE(SOUND CREAM STEPPERZ)

「気分は戦友。勝手ながら仲間意識を持ってます」


●SHINSAKU

「僕は一番身近にいたファンになるんじゃないかな。ZOOファミリー(ZOO Jr.~DEER)として様々な活動に参加したことでいろんな勉強をさせてもらえたと思います。普段は練習など何もしていないような素振りのメンバーでしたが (笑)本番ではものすごい光を放っていた気 がします。今でも僕の心の中では一番心に残る伝脱のアーティストです」


● BELL (B・FRESH)

「当時ZOOはダンサーの憧れの的だった。だから今現在 のダンスムーヴメントはこんなにでっかくなってるんだ!間違いネェ!」

最後に…

いよいよ今回で最終回を迎えることになったが、彼らのDNAは確実に今のストリートダンスシーンに根を張り、しっかりと受け継かれている。そしてメンバーそれぞれが、現在はある意味ZOOの頃以上に精力的に、多方面において活躍しているのがとてもうれしくもあり、また今回の取材を通してそのことを十分に伝えることができたと思う。彼らのような存在が再び生まれる機会(=シーンでリスペクトされるべきダンサー達が巨大なスポットライトを浴びるような瞬間)がまた訪れてほしいと、心から願ってやみません、ZOO FOREVER!

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